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第3話| 人生を変えたインドへの挑戦

会社を立ち上げて最初に受けた仕事は、工作機械を購入した商社から紹介された部品加工でした。

加工する部品は、たった一つ。

金額は5,000円。

それでも、自分で立ち上げた会社で初めて受けた仕事でした。

小さな仕事でしたが、私にとっては大きな一歩でした。

しかし、現実は甘くありませんでした。

創業当初の売上は月10万円にも届かず、半年経っても月50万円ほど。

資金は1,400万円でスタートしました。

工作機械や工具に約700万円、工場の改造に約300万円を使い、手元に残ったのは約400万円でした。

その400万円も、毎月少しずつ減っていきました。

仕事を受注するたびに、材料や加工に必要な刃物などを購入しなければならず、売上が入る前に資金はどんどん減っていきました。

通帳を見るたびに、

「あと何か月持つだろうか……」

そんなことばかり考えていました。

仕事がない日は営業先を調べ、飛び込み営業もしました。

それでも仕事はなかなか増えません。

外注に回ってくる仕事には、それなりの理由があることを、その時初めて知りました。

自分たちではやりたくない仕事を外注へ出す。当然といえば当然です。

ある日、金曜日の午後に電話がありました。

「月曜日の朝までに加工して持ってきてほしい。」

もちろん、個人事業なので土日も仕事をすることに抵抗はありませんでした。

しかし、続けて言われた一言が今でも忘れられません。

「値段はまだ決まってないけど、いいかな?」

仕事が欲しかった私は断ることができませんでした。

週末を返上して加工し、月曜日に納品しました。

当時は「仕事をもらえるだけありがたい」と自分に言い聞かせていましたが、正直、とても悔しい気持ちになりました。

量産品の仕事では、工作機械2台を昼夜動かし続けました。

機械の前に簡易ベッドを置き、加工中のわずかな時間に仮眠を取る。

食事も機械が動いている間に済ませる。

そんな生活が1週間続くこともありました。

しかし、苦労した分だけ利益が残るわけではありませんでした。

同じ部品をたくさん作れば作るほど、「もう少し安くしてほしい」と値下げを求められるようになりました。

一見すると仕事が増えているように見えますが、材料代や消耗品代、設備費を差し引くと、時給にすれば1,000円も残らないことが分かりました。

「このまま部品加工だけでは会社は続かない。」

そう思うようになりました。

精神的にも追い詰められていました。

夜は疲れて眠ることができました。

しかし朝になると、理由もなく涙があふれ、嗚咽が止まらなくなる。

「会社を続けられるのだろうか。」

そんな不安が毎朝襲ってきました。

資金は減り続け、仕事は増えない。

会社を守らなければならない。

家族も守らなければならない。

頭では冷静でいるつもりでも、心は限界に近づいていました。

そんな時、前職でしていた仕事を思い出しました。

産業用ロボットのプログラミングです。

部品加工と違い、自分の技術一つで勝負できる仕事。

設備や材料に大きなお金もかかりません。

時間当たりの単価も高い。

「もう一度、ロボットの仕事をやりたい。」

10年ぶりに挑戦した産業用ロボットのプログラミング。この一歩が、会社の未来を変えました。

そう思い、前職の同僚に連絡しました。

その同僚も独立しており、快く仕事を紹介してくれました。

ロボットの仕事から離れて約10年。

最初にもらった仕事は、インドの自動車工場で行われる生産ライン立ち上げでした。

期間は約2週間。

報酬は約100万円。

10年ぶりのロボットプログラミングが、いきなり海外でした。

もちろん不安でした。

技術はまだ通用するのか。

海外の大きなプロジェクトで、本当にやっていけるのか。

さまざまな思いを抱えながら、私はインドへ向かいました。

飛行機が離陸し、故郷の景色が窓の下に広がります。

その景色を見た瞬間、私は覚悟を決めました。

「ここから、俺の仕事の第2章が始まる。」

「負けてたまるか。」

インドの現場では、日本全国から集まった多くの技術者たちと仕事をしました。

ロボット、機械、電気、制御。

それぞれの専門家が知恵を出し合い、一つのラインを完成させていく。

その姿を見て、私は改めて感じました。

「やっぱり日本人は仕事ができる。」

そして、その現場には前職で大変お世話になった上司もいました。

10年ぶりの再会でした。

近況を話す中で、私は故郷で部品加工の会社を経営していることを伝えました。

すると上司は、

「それなら紹介したい人がいる。」

と言って、前職の元同僚で設備会社を経営しているCさんを紹介してくれました。

帰国後、私はCさんと会いました。

会社のこと、部品加工を頑張っていることを話すと、Cさんは驚くほどあっさりと言いました。

「とりあえず、1,000万円くらい加工の仕事を出すよ。」

当時の年間売上は500〜600万円ほど。

年間売上を超える仕事でした。

「本当にそんな仕事をもらえるのだろうか。」

半信半疑でした。

しかし、その言葉は現実になりました。

少しずつ仕事が入り始め、会社は前へ進み始めました。

振り返れば、私は昔から人との縁を大切にしてきました。

とにかく敵をつくらない。

どこで、どんな縁につながるか分からないからです。

インドで上司に再会しなければ、Cさんを紹介してもらうこともありませんでした。

10年前の人間関係が、思いもよらない場所で会社の未来につながったのです。

まさか、インドで人生が変わるとは思ってもいませんでした。

ただ、人との縁だけで会社が続いたわけではありません。

紹介してもらえたとしても、その仕事を任せてもらえる技術がなければ、次につながることはありません。

私は10年間ロボットの仕事から離れていましたが、前職で身につけた技術は体が覚えていました。

だからこそ、インドでの仕事をやり遂げることができたのです。

人との縁は、チャンスを運んできてくれる。

しかし、そのチャンスを本当の仕事に変えるのは、自分が積み重ねてきた技術と行動だ。

技術は、一度身につければ誰にも奪われません。

だから私は今でも、新しいことを学び続けることを大切にしています。

あのインドへの挑戦が、会社の未来を変える大きな転機になりました。


目次

次回予告

インドでの出会いをきっかけに、加工の仕事は少しずつ増え始めました。

そして私は、会社の未来を変える大きな決断をします。

ようやく信用を得て導入できたのは、新品の小型マシニングセンタでした。

しかし、そのリース契約には一つの条件がありました。

頭金50万円。

それでも私が新品を選んだ理由は、性能ではありませんでした。

次回、第4話「新品の機械がくれたのは、性能ではなく安心だった。」


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