会社を立ち上げて最初に受けた仕事は、工作機械を購入した商社から紹介された部品加工でした。
加工する部品は、たった一つ。
金額は5,000円。
それでも、自分で立ち上げた会社で初めて受けた仕事でした。
小さな仕事でしたが、私にとっては大きな一歩でした。
しかし、現実は甘くありませんでした。
創業当初の売上は月10万円にも届かず、半年経っても月50万円ほど。
資金は1,400万円でスタートしました。
工作機械や工具に約700万円、工場の改造に約300万円を使い、手元に残ったのは約400万円でした。
その400万円も、毎月少しずつ減っていきました。
仕事を受注するたびに、材料や加工に必要な刃物などを購入しなければならず、売上が入る前に資金はどんどん減っていきました。
通帳を見るたびに、
「あと何か月持つだろうか……」
そんなことばかり考えていました。
仕事がない日は営業先を調べ、飛び込み営業もしました。
それでも仕事はなかなか増えません。
外注に回ってくる仕事には、それなりの理由があることを、その時初めて知りました。
自分たちではやりたくない仕事を外注へ出す。当然といえば当然です。
ある日、金曜日の午後に電話がありました。
「月曜日の朝までに加工して持ってきてほしい。」
もちろん、個人事業なので土日も仕事をすることに抵抗はありませんでした。
しかし、続けて言われた一言が今でも忘れられません。
「値段はまだ決まってないけど、いいかな?」
仕事が欲しかった私は断ることができませんでした。
週末を返上して加工し、月曜日に納品しました。
当時は「仕事をもらえるだけありがたい」と自分に言い聞かせていましたが、正直、とても悔しい気持ちになりました。
量産品の仕事では、工作機械2台を昼夜動かし続けました。
機械の前に簡易ベッドを置き、加工中のわずかな時間に仮眠を取る。
食事も機械が動いている間に済ませる。
そんな生活が1週間続くこともありました。
しかし、苦労した分だけ利益が残るわけではありませんでした。
同じ部品をたくさん作れば作るほど、「もう少し安くしてほしい」と値下げを求められるようになりました。
一見すると仕事が増えているように見えますが、材料代や消耗品代、設備費を差し引くと、時給にすれば1,000円も残らないことが分かりました。
「このまま部品加工だけでは会社は続かない。」
そう思うようになりました。
精神的にも追い詰められていました。
夜は疲れて眠ることができました。
しかし朝になると、理由もなく涙があふれ、嗚咽が止まらなくなる。
「会社を続けられるのだろうか。」
そんな不安が毎朝襲ってきました。
資金は減り続け、仕事は増えない。
会社を守らなければならない。
家族も守らなければならない。
頭では冷静でいるつもりでも、心は限界に近づいていました。
そんな時、前職でしていた仕事を思い出しました。
産業用ロボットのプログラミングです。
部品加工と違い、自分の技術一つで勝負できる仕事。
設備や材料に大きなお金もかかりません。
時間当たりの単価も高い。
「もう一度、ロボットの仕事をやりたい。」

そう思い、前職の同僚に連絡しました。
その同僚も独立しており、快く仕事を紹介してくれました。
ロボットの仕事から離れて約10年。
最初にもらった仕事は、インドの自動車工場で行われる生産ライン立ち上げでした。
期間は約2週間。
報酬は約100万円。
10年ぶりのロボットプログラミングが、いきなり海外でした。
もちろん不安でした。
技術はまだ通用するのか。
海外の大きなプロジェクトで、本当にやっていけるのか。
さまざまな思いを抱えながら、私はインドへ向かいました。
飛行機が離陸し、故郷の景色が窓の下に広がります。
その景色を見た瞬間、私は覚悟を決めました。
「ここから、俺の仕事の第2章が始まる。」
「負けてたまるか。」
インドの現場では、日本全国から集まった多くの技術者たちと仕事をしました。
ロボット、機械、電気、制御。
それぞれの専門家が知恵を出し合い、一つのラインを完成させていく。
その姿を見て、私は改めて感じました。
「やっぱり日本人は仕事ができる。」
そして、その現場には前職で大変お世話になった上司もいました。
10年ぶりの再会でした。
近況を話す中で、私は故郷で部品加工の会社を経営していることを伝えました。
すると上司は、
「それなら紹介したい人がいる。」
と言って、前職の元同僚で設備会社を経営しているCさんを紹介してくれました。
帰国後、私はCさんと会いました。
会社のこと、部品加工を頑張っていることを話すと、Cさんは驚くほどあっさりと言いました。
「とりあえず、1,000万円くらい加工の仕事を出すよ。」
当時の年間売上は500〜600万円ほど。
年間売上を超える仕事でした。
「本当にそんな仕事をもらえるのだろうか。」
半信半疑でした。
しかし、その言葉は現実になりました。
少しずつ仕事が入り始め、会社は前へ進み始めました。
振り返れば、私は昔から人との縁を大切にしてきました。
とにかく敵をつくらない。
どこで、どんな縁につながるか分からないからです。
インドで上司に再会しなければ、Cさんを紹介してもらうこともありませんでした。
10年前の人間関係が、思いもよらない場所で会社の未来につながったのです。
まさか、インドで人生が変わるとは思ってもいませんでした。
ただ、人との縁だけで会社が続いたわけではありません。
紹介してもらえたとしても、その仕事を任せてもらえる技術がなければ、次につながることはありません。
私は10年間ロボットの仕事から離れていましたが、前職で身につけた技術は体が覚えていました。
だからこそ、インドでの仕事をやり遂げることができたのです。
人との縁は、チャンスを運んできてくれる。
しかし、そのチャンスを本当の仕事に変えるのは、自分が積み重ねてきた技術と行動だ。
技術は、一度身につければ誰にも奪われません。
だから私は今でも、新しいことを学び続けることを大切にしています。
あのインドへの挑戦が、会社の未来を変える大きな転機になりました。
次回予告
インドでの出会いをきっかけに、加工の仕事は少しずつ増え始めました。
そして私は、会社の未来を変える大きな決断をします。
ようやく信用を得て導入できたのは、新品の小型マシニングセンタでした。
しかし、そのリース契約には一つの条件がありました。
頭金50万円。
それでも私が新品を選んだ理由は、性能ではありませんでした。
次回、第4話「新品の機械がくれたのは、性能ではなく安心だった。」

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